3月 18

2005年に創設され,来年には成熟した20周年を迎えることになるはずだった森の里炭焼倶楽部が残念なことに解散することになった。ここに至った経過にはあれやこれやのスッタモンダがあった。フェルマーの最終定理じゃないけど,それを語るにはこのブログの余白では狭すぎる。

当ブログの管理人(Meisterköhler)が入会した2008年には20家族が構成メンバーだった。しかし,2015年3月の総会あたりから16家族と会員が減少し始めた。「会員の高齢化に伴い果樹の剪定,草刈や共同畑の維持管理が難しくなってきた」という声も出始めた。コロナ禍を迎えて2021年には11家族となり,2023年にはとうとう9家族までに落ち込んだ。これではもはやタケタケランドを維持管理することが不可能になる日は目前に迫っている,との共通認識が会員に行き渡った。数年のうちに建物や鉄パイプの棚などを解体して土地を原状に復帰させられなくなるだろう。

そうこうするうちに2023年7月に突然に会長が退任することになり新たな会長・副会長が選出された。新会長・副会長は10月に森の里炭焼倶楽部の解散のロードマップを提示した。その終活案は2030年3月31日をもってタケタケランドを原状(に近く)復帰したのちに地主に返還する計画であった。さらにマップには「新会長・副会長は2024年3月31日をもって辞任し再選は断る」と明記されていた。そこで急遽に臨時総会を開催したが誰も2024年度の会長・副会長の自薦あるいは他薦をしなかった。

あれよあれよという間に2024年3月31日をもって炭焼倶楽部は解散することになってしまった。新会長・副会長の終活ロードマップは,まことにあっけなく,反故になった。したがって残る半年の期間で炭焼き小屋,トイレ,農機具小屋,耕運機小屋,果樹棚,藤棚,井戸の解体撤去も済ませることになってしまった。

2023年9月27日の森の里夏祭りの反省会で出された新たなロードマップに従って,終活は炭焼き小屋の整理から始まった。個人所要物は持ち帰ってもらって,廃棄する不用品を選び出した。

2023年12月19日に炭焼き小屋にあった不燃物を市のクリーンセンターに持ち込んで処分してもらった。

小屋の解体は副会長とこの道に精通した会員の2人で始めるという話がまとまった。その他の素人は危険だから離れて見ていてくれとのことだった。が,2023年12月21日に突然に炭焼き小屋,果樹棚,藤棚,農機具小屋が業者の手によって一挙に解体された。

トイレと井戸は災害時などの緊急事態に役立てたい,というい地主の意向でそのまま残すことになった。

2024年1月27日の共同作業日に資産配分のために現有備品の棚卸しをした。これによって2月10日の資産配分の抽選の対象備品のリストが完成した。

2月10日は抽選による資産配分の抽選の日を迎えた。9家族のうち4家族は代理人に抽選を任せた。実際に参加した5家族によって個々の資産を見ながら希望順位をつけた。資産に複数の希望者があった場合は抽選のくじ引きが行われて資産配分が着々と進んだ。

作業最後に残った耕運機小屋の中も外もスッキリと空っぽになった。

資産配分が済んで各家族の所有権が決まったが解散の3月31日まではタケタケランドの整備は続くので家庭などに持ち帰らないと条件をつけた。保管スペースは解体されてしまったので地面にシートで覆って保管せざるを得ない。

2024年2月15日には,またしても突然に,最後に残った耕運機小屋の解体が業者によって実行された。

 

2024年3月16日には残ったコンクリートガラ,ブロック,漬物石などの廃材を産廃処理工場にもって行って処分した。

かくして,とうとう森の里炭焼倶楽部に活動場所であったタケタケランドはほぼ完全に解体された。

スッキリしたというか,淋しいというか,ガランとしたタケタケランドが残された。

合掌

3月30日には地主から畑の使用,維持管理を3月31日で終了することが通告された。これで今後は個人的にもタケタケランドでの農作業は続けられなくなった。実に後味の悪い終わり方になってしまった。

と,思っていたら4月7日に,一部の旧会員にだけに畑が割り当てられた「久松家承認の畑配置図」なるものが回ってきた。この資料の発信者が誰かは不明であるがそれは自明であろう。地主さんが本当に翻意して一部の旧会員だけに承認したのかを確認するすべもない。その秘密もしくは策略はこのブログの余白のどこにも見つかってない。

最後に何が起こったのかあれこれと想像できるだろうがそれは当事者たちだけが知る。

 

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6月 09

遺影

2008年に森の里炭焼倶楽部に入会させてもらってからというもの公私ともに大変お世話になった金栗正純さんが2023年6月9日に鬼籍に入られた。享年84歳であった。つい先日の5月の連休に元気なお姿を拝見したばかりなのにとても信じ難いことだ。ご冥福をお祈りいたします,合掌。

金栗さんは森の里炭焼倶楽部の事務局担当として会計,備品整備や交渉などなどの係を精力的にお勤めになり倶楽部の存続に欠かせない人だった。個人的には竹炭焼きの温度管理や煙の状態から炭焼き状況の把握のツボなどを伝授していただいた。また,とても丁寧な領収書管理や帳簿付けで当ブログ管理人の私が会計監査役をしていた時には随分と楽をさせてもらった。

ここにありし日の金栗さんの姿を振り返ってみたい。小さな写真をクリックすると大きく引き伸ばされます。

2008年新米試食会

2008新米試食会

2009年収穫祭,忘年会,総会

2009収穫祭 2009忘年会 2009総会

2010年ジャム作り,久松家での蕎麦打ち,金栗さんの誕生会,炭焼き,森の里団地「里の市」

2010ジャム作り 2010久松家蕎麦打ち 2010金栗さん誕生会 2010炭焼き 2010里の市

2011年新年会,屋根葺き,忘年会,総会

2011新年会 2011屋根葺き 2011忘年会 2011総会

2012年久松氏卆寿祝い

2012久松氏卒寿祝賀会

2013年収穫祭

2013収穫祭

2015年収穫祭,炭焼倶楽部10周年記念パーティー

2015収穫祭 1 2015収穫祭 2 2015炭焼倶楽部10周年パーティー

2018年藤棚作り

2018藤棚つくり

2019年夏祭り

2019夏祭り

2022年餅つき

2022餅つき

2023年筍パーティーでは退院後にもかかわらず参加していただきました。これが最後の歓談となりました。

2023筍パーティー

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2月 14

新型コロナウィルスの蔓延で首都圏を始めとする10都道府県に緊急事態宣言が再び発令された。東京はロックダウンすべき状態にもかかわらず人々はあふれているという。そして,茨城県にも独自の緊急事態宣言が発令された。2月8日になって県独自の緊急事態宣言は解除されたが東京始めとする神奈川,埼玉,千葉などの9都道府県は緊急事態宣言が続いている。そうこうしているうちに,東京オリンピック組織委員会の森会長が女性蔑視の失言で世界中からの非難を受けて辞任するという馬鹿騒ぎがあった。東京オリンピックの死に体が世の表面にはっきりと現れた。

そんなコロナ禍で自粛していた森の里炭焼倶楽部にもちょっとした事件が起こった。先週の日曜日(2021年2月7日)につくば市が東谷田川の河岸での野焼き(葦焼き)を実施した。川から2kmほど離れたわが家の庭,ベランダそして周辺道路にも結構な量の燃えカスが降ってきた。その機会に乗じてか,森の里団地周辺の農家も(勝手に?)野焼きを実施したらしい。その結果,農家の畑と炭焼倶楽部の共同畑の境界の水路周りの野焼きの飛び火が共同畑の梅林に移って梅の木が燃えた 。折しも,一人で作業中だったの炭焼倶楽部メンバーIさんが気付いてバケツで水をかけて消火作業をした。しかし,バケツの水だけでは効果がなかったので燃えている部分を鋸で切り倒したそうだ。このとき,野焼きを始めた農家の人は,無責任にも,その場に立ち会ってもいなかったという。今日の共同作業日でそのことが報告されて実況検分をした。

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燃えた梅の木は老木で根元は虚になっていたので,煙突の役目をして,良く燃えたらしい。梅林の地主さんに報告して検分してもらった。飛び火はこの梅の木の隣の木にも燃え移ったがこちらは少しの延焼で済んだのは幸いだった。

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切り倒した部分は改めて共同作業のメンバーで焼却した。今日の作業はこの後始末がメインとなった。

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焼却作業が一段落したのでメンバーが持ち寄ったおやつをいただくことにした。おにぎり,団子,手羽先唐揚げ,芋ようかん,おせんべい,チョコレートなどなどを食べながら歓談した。

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15°Cを越えるほどのポカポカ陽気のおしゃべりの最中に焚き火の燃えカスが脇に積んであった枯れ枝の束に燃え移ったのに気がついた。慌ててみんなで消火作業となった。燃えた梅の木もこんな具合に飛び火を被ったのだろう。クワバラ,クワバラ。

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